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こんばんは、series500です。
大学に入学したのは、今から約4年前の2005年4月。
入学式の日は、雨男の名に相応しい曇天(確か、出発の直前まで雨)で、大学に対する明るい希望を持ち合わせていなかった私の心を反映したような1日だった事を覚えています。
それから暫くの間は、大学の生活を楽しむことも出来ず、高校時代を懐かしんでは戻りたいと思う毎日でした。
もしも、大学入学時点から何もかもに全力投球できたならば、その後の大学生活や人生にとって、どれほどの価値があったのか計り知れません。
それでも、3回生から始まった研究演習(ゼミ)は、それ以降の大学生活を、そして今という時を変えるほどの私にとって重大な出来事でした。
正直、ゼミという場所が何をするトコロなのかイマイチ分かっておらず、レポート一杯書かされるのかとか、ワケ分からないイベントに強制参加させられるのかとか思ってみたり、25人を誰一人知らない中で飛び込んでいったので、友達できなかったらどうしようとか・・・殆ど不安しか無かったし、あまり期待もせず、ただ2年間が過ぎて、卒業すればイイと思っていました。
でも、実際には、勉強にも遊びにも全力で、個性的なキャラの人たちに囲まれて、これまでにないくらい一気に素晴らしい友人が増えました。
また、ゼミでの恩師は、温厚で熱心。
私も、勉強に進学に飲み会などのイベントにと力を貸して頂きました。
これらの出会いが、私の大学生活の最大の収穫と言っても過言ではありません。
本当は、こんな最高の友人に、もっと早くに出会えたら良かったんですが、これもまた運命なんでしょう。
ここで別れることは悲しくもありますが、そこは情報社会・・・私は、彼らとは一生を掛けて親交を深めたいと真剣に思っています。
これからゼミとして集まる事は不可能に近いかもしれませんが、少人数でも定期的に集まって、更に親交を深めていけたらと期待してます。

それと、今となっては役立たずになりそうな教職課程の日々。
教員免許に限っては、別に取得しなくたって大学を卒業できますし、就職活動等では、むしろそれが仇となる場合も多々ありました。
しかしながら、ここで頑張ってきた日々と教育実習に参加できた事は、間違いなく私の大学生活と人生の大きな刺激になっています。
仮に、この教員免許を一度も役立てることなく失効させてしまったとしても、その日々が軽んじられることはありません、多分。
卒業した今、教職課程を履修してきたことに何ら後悔はしていません。

・・・って書き始めたら、この長くて短い4年間の色んな事が次々と浮かんできて、とても文章に纏められないので、この辺にしておきます。
また、大学生活を冷静に振り返る時に、ちゃんと書きたいと思います。

さて、その卒業式当日。
集合時間とされていた時刻よりも1時間以上も早くに大学の最寄駅に到着し、まだ人通りの少ない大学通りを4年間を振り返りながら歩いて大学に行きました。
その時間は、1時限目の講義がある時に通った時間に近く、そう言えば、この時間は太陽が前から差してきて、夏は頗る暑かったなぁ~とか、普段は思い出さない事も、実際に現場では思い出すこともあります。

そうこうして、大学に着いた時には人も少なかったのですが、暫くすると、ゼミの友人や長らく会うこともなかった知り合いなどが続々と集結して、10時から全学部共通の卒業式典に参加。
まぁ、私のような一般学生は話を聞いているだけの式なんですけどね。。。
それでも、派手な演出が印象的だった入学式とは反対に、淡々と式が進んでいく様は、まるで大学生としての生と死を表現しているようにも私は感じました。
そう考えると、大学生として終わりを迎えた事が少しだけ実感できます。

で、会場を移して法学部だけの卒業証書(学位)授与式に出席。
この時は、各所属ゼミごとに座席に座って、学長の挨拶と成績優秀者の表彰が中心でした。
前にも書きましたが、600人以上の卒業生の中から、たった18人しか選ばれない成績優秀者に、我がゼミの友人から4人も選ばれるという前代未聞の快挙です。
本当に、こんな事って稀ですよ。
だって、普通は自分の周りに成績優秀者が1人でもいれば驚きなのに、それが4人なんですから。
本当に私のゼミは最強なんだなと痛感させられます。
そんなトコロに、なんで私みたいなのが混じっているのか。。。
話を戻して・・・その後は各ゼミの担当者から学生証と引き換えに卒業証書が授与され、正式に卒業という形になります。
流石に4年も定期入れの住人として活躍してきた学生証を返還する時には、複雑な気持ちになりましたが、先生から励ましの言葉をもらって気が引き締まりました。

午後からは、大学の食堂を貸し切って行なわれている謝恩会に顔を出したり、教員免許を受け取りに行ったり、大学を一周してみたり・・・時間だけは無駄にあったので、大学生として最後の大学を満喫しておきました。
ま、卒業生として大学に行っても、大学は大学なんですけどね・・・
謝恩会は例年、某ホテルで開催されてきたもので、今年は何故か大学の食堂で開催される事になった経緯があり、どうせ大した料理も出ないと踏んでいたのですが、結構立派で驚かされました。
教員免許の方は、今日の今日まで本当に授与してもらえるのか不安だったのですが、取りに行ってみたら自分の免許もあったんで、一安心です。
この1枚の紙には、私の4年間の苦悩と継続と努力(?)の成果そのものですね。
もうそれだけで充分。

一通りの用事を終えても時間はタップリ残されていたので、東大阪の石切に住んでいる友人の家に寄せてもらって、コーヒーを御馳走になりました。
それにしても、石切の坂は半端ない・・・運動不足な私には生活できないレベルです。
ここで生活したら、きっと太らない!(笑)
ただ、景色は素晴らしく綺麗で、出来る事なら1日の変化をずっと眺めていたい程でした。

18時頃、石切を後にして、阪神電車との直通運転を前日に控えた近鉄で難波へ。
ゼミの半数くらいのメンバーと先生が集まって、大学最後のゼミ飲み会が開催されました。
今後、これ程のメンバーが日常的に集まるのが厳しくなるのは火を見るよりも明らかで、これがどういう意味を示しているのか、分かっているけど分かりたくないってのが本音です。
本当に皆と一緒にいると、楽しくて仕方ない・・・

その後、先生も含めてカラオケで終電ギリギリまで。
本当は、皆がオールの方向にいかなくても、私と友人はオールする計画も立てていたのですが、気持ちは前にあるのに、体が追いつかないので、渋々帰宅することになりました。
ま、来週に食事でもする約束もあったし、ここで無理するのは褒められません。
終電に関しては、御堂筋線は終電までに余裕がありましたが、谷町線は終電で、お酒が入っているにも関わらず、乗り換えのために梅田の地下街を全力疾走したのは、ある意味で「思い出」です。
・・・しんどい。

4年という長くも短くもあった大学生活。
大学時代にやるべき事を、もっと早く決めれば良かった・・・という後悔もありますが、それも若気の至り。
きっと、後悔する事を挙げ始めたら、レポートが書けてしまうレベルです。
それでも、最高の仲間に囲まれて卒業できたことを嬉しく思います。
これこそが、大学生活における全ての後悔を相殺するような財産であると私は思います。
この大学で学び、考え、友と出会い、恩師と出会い、喜び、楽しみ、悲しんだ事を糧にして、これからの人生に反映さえていく所存です。

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このブログは、2006年12月1日(金)に開設され、2013年3月18日(月)までの2300日に連日更新されました。現在は、管理人の気力・体力・ヤル気・ネタが揃った場合にのみ、ごくごく稀に更新されます。
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