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こんばんは、series500です。
今日は授業の無い日。
明日からの院生合同学術研究大会(院祭)も含めて連休の1日目です。
ただ、やりたい事だけは無限に近いくらいあるんですけどね~
スケジュールと金銭的に殆ど実現できそうにないです。
まぁ、最低限やることはやっておいて、あとはノンビリさせてもらいましょうか。

第1057項で、OLYMPUS PENのWebコンテンツ[ http://www.artistslife.jp/index.html?id=olympus ]についての記事を書きましたが、今、そのサイトでスカパラのGAMOさんがコメントしていた事が引っ掛かっています。
このカメラに、お前つまらないよって言われている気がして(以下略)」。
写真をやる人なら、こういう風に感じることが一度はあるんじゃないでしょうか?
私は、写真を趣味の1つにしているといっても、それは他の趣味(鉄道とか街の変化とか雲の形とかブログの視覚的要素を上げるためとか)の補完的な役割が大きくて、芸術的な観点というよりは記録的な側面の方を主流として写真を撮ってきました。
もちろん、その中にも自分なりの表現を入れたり、構図に凝ることも無いことはないのですが、ふと上記のコメントを見たときに、私は自分の写真に対しての確固たるものが見えないなと思ったのです。
例えば、芸術的な側面を求める場合、写真の対象物を地面の高さから撮ってみたり、縦位置にしてみたり、モノクロ・セピアの色調にしてみたり、ホワイトバランスを意図的に崩したり・・・そういうことの意味というのは、私みたいに「記録」的な写真を撮る人からすれば、そういう写真を撮ろうとしている素人を見ると、芸術気取りのように感じてしまうときがあります。
でもそれは写真を絵を描くのと同じような感覚で撮っているのかもしれません。
つまり、絵は非現実も描くことができる(逆にいえば、どんなにリアルに描いても偽物でしかない。)・・・写真にも普通の人間の視点ではない非現実を求めているのか・・・
仮にそうだとして、では写真を撮るということはカメラの性能を人間の目ではなく、一本の筆と考えることなのでしょうか。
ならば、カメラを人間の目・記憶としてのみ使っている私は、カメラに「お前つまらないよ」と言われても反論できないような気がして、この言葉に引っ掛かったのかと自問する今日この頃です。
20091125-01.jpg







(1)いつも身に着けている腕時計をモノクロで撮ってみた。記録という点では不完全な画像だが、何か意図があるのかもしれないという雰囲気は確かに感じられる。でも、記録から何かを引いた不完全な画像がアーティスティックだというのは安直な芸術か。

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