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こんばんは、series500です。
あ~、なんか1日動いたら疲れました。。。
こんなので社会人としてやっていけるのでしょうか・・・
不安というか、致命的です。

今日は、レンタカーを借りて、河内長野へ墓参りに行ってきました。
車は、半年ぶりくらいのマツダ・デミオです。
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別にデミオが特別に好きなわけでもないのですが・・・まぁ、乗りやすい車だとは思います。
あと、いつも借りているデミオには、タコメーターが付いていないのに、今回のには付いていたので、仕様が少し違うものだったのかもしれません。(ETCカードリーダーが頭上だったりもしたので、こちらが旧型?)
一度はホンダの車に乗ってみたいんですけどねぇ~

墓参りも済ませ、あとは・・・何をやるんでしたっけ???

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こんばんは、series500です。
学生生活最後の週末となりました。
・・・学生生活という時点で週末も何もありませんけど・・・
大きく環境が変わろうとしているにも関わらず、何を考えたら良いのか分からなかったりします。

そして、3月も残すところ数日で終わろうとしているにも関わらず寒いまま・・・
桜の蕾も少しだけ大きくなりつつありますが、咲くにはまだまだ時間が掛かりそうです。

さて、今日は午後からノルマンディー倶楽部の会合を開催しました。
前回、1月30日[第1522項参照]と同様、trans-portさん、sikiさんを迎えての3人会合です。
桃鉄16が進められないことは残念ではありますが、とにかく会合を開ける体制が維持されているだけでも評価するべきではないかとも思いますので、これはこれで楽しみます。

先ずは、前回からスタートしたWii「桃太郎電鉄2010」。
私は絶望的な最下位から始まったワケですが、やっぱり最下位は脱することができませんでした。
途中、何度か息を吹き返す兆候が見られたものの、すぐに悲劇に見舞われるという・・・
サイコロの出目なんかも、如何にも内部操作されていそうな感じで、不信感が募るばかりです。
ま、次回からもスキがあれば容赦なく暴れてやりますよ。(笑)

で、「ドアラでWii」なる謎のゲームをやって、???って感じになりつつも、最終的には安定感のある「マリオ コレクション」に落ち着きました。
やっぱりコレです。
コントローラの使い勝手もあって、なかなか思うように操作できないのですが、そういうことも含めて楽しめる・・・1P限定のゲームで複数人が盛り上がる・・・良いじゃないですか。

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こんばんは、series500です。
東北地方太平洋沖地震から2週間が経ちました。
被災地の環境は劇的に良くなっているわけでもなく、まだまだ苦しい生活を強いられているとのこと。
マスコミの報道は意図的に情緒的だと言われても、流石にこれだけ悲惨な状態ならば、意図しなくても情緒的になるでしょう。(テレビに映っている限り、ちょっとは被災者の支援をしたら?とも思ったりしますけど。。。実際には映っていないところで支援してたらゴメンナサイ。)
報道される被災者の方々は、本当に気丈だと思います。
また、原発についても未だに不安定な状態であり、予断を許しません。
我々は普段の生活をと思いますが、東京では放射性物質が基準値以上に観測されたり、電力事情も安定的ではなかったり、関西でもJR西日本が鉄道車両の部品を確保できなくて来月から運転本数の削減を計画をしたり・・・それなりの影響を受けている模様。
一刻も早い復興を祈るばかりです。

今日は、昼過ぎから大学院の講義資料などを中心に整理を始めました。
最終的にはファイルに綴じるつもりですが、ファイルが膨大になり、金銭的にも負担が大きいので、現時点では飽くまでも計画だけです。
ですが、社会人になってからの作業では時間がありませんから、今はファイルに綴じられる状態にすることを目標として作業をしております。
また、本当は、自分が関わった資料は一旦保存しておきたいと思っていたものの、流石にそれでは量が多すぎるので、レジュメなどを中心に保存することとし、判例などは処分という形を原則としています。
それでも・・・今月中に終わるかどうかは微妙なトコロです。
あと、ファイルに綴じたところで、そのファイルをどこに保存するかも根本的に問題なんですが・・・
とはいえ、実用性が一切ないとしても、やっぱり自分が向き合ってきたものです。
心持ちとしては、教科書以上の価値があります。

夜は、天満の某ジャズバーへ。
師匠のライヴでした。
社会人になっても時間の都合がつけば行くつもりですが、時間が自由な学生のうちに行けるのは今回が最後でしょうから、是非とも行っておきたかったのです。
まぁ・・・夕食の時に思い出して、観に行けたのは2部からでしたけどね。。。(汗)
いやっふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉい!

1週間後には社会人デビューしているはずのseries500で御座います。

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こんばんは、series500です。
なかなかに気温が低いです。
肌寒いのはこれで最後くらいにして欲しいですね。
[最高気温:9.3℃・最低気温:3.3℃/大阪・気象庁]

今日は午前中、自宅で地味な作業を。
むかし聞いていた某アニメCDをパソコンに取り込んでました。
「むかし」というか、今でも曲自体は偶ぁ~~にMDとかで聞いてましたけどね。。。
パソコンに入れていなかったのは、データ量的な問題と、処理の手間を考えてのことでした。
でも、いつまでも聞きたい時にMDを使うのは面倒ですし、これから社会人になるにあたって大きな力になってくれるのではないかと思いますので、パソコンに取り込んでプレーヤーに送りました。
スカパラの次、JAZZ・川上つよしと彼のムードメーカーズ・くるりと同じくらい期待しています。

夕方からは豊中での研究会に出席。
なかなかハードな議論でした。
事実関係・歴史を把握しきれていない私などが具体的な何かを発言できるわけではないのですが、話を聞いていると、「あ~、そういう考え方ができるのか」とか「そう考えるべきなのか」と思うことが多くあります。
それが今後の私の仕事に関わってくるかどうかは別にして、そういう問題意識があることを認識できただけでも充分に価値があるのではないかと感じています。
これが自分のことのように理解できるようになったら、少し成長したことになるのかもしれません。

来月からは今までのように研究会には出席できないかもしれませんが、早く仕事に慣れて、再び研究会にも顔を出せるようになれればと思います。
大学院の授業にもゲストとして参加したいですし。

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こんばんは、series500です。
昨日の疲れでしょうか、大学院修了による虚無感でしょうか・・・今日はボーっとしてしまいました。
もう本当に学生としての自由な時間が無くなってきて、一方でやりたいことが一杯ある、そんな状況なのに、ボーっとしてしまいました。
今、平日にボーっとできることも良いことではあるのですが、ボーっとしてしまいました。

サックスを調整に出したいのに、あまりにも料金が高過ぎて躊躇中。
使用頻度が低いとはいえ、軽く2年以上は調整していないので、そろそろタンポも交換が必要なものがあるかもしれませんし、パーツに歪みとかがあると根本的に正しく吹けません。
けど・・・調整で1万円も2万円も3万円も4万円も5万円も出せないです。
どうしましょう。

あと・・・髪型を何とかしたいです。
セットした時は良いのですが、時間が経つと、あるいは強風に吹かれると、ワックスが変に固まってコントロール不能になります。
前髪だけクセ毛なので、それをすいてもらっていることが災いして、髪の毛が極端に少なく見えもします。
昨日の写真を見て残念な感じがしました。

※追記※
写真で思い出しました。
いま使っているコンデジ、SONYのDSC-WX1は広角レンズで、焦点距離24mmです。
なので、普通に撮ると、左右の視界が広くて、景色などには最適なのですが、人物写真を撮ると、人物が中心の方にポツンということが多々あります。
所有者である私はもちろんなのですが、お願いして撮って頂くときなど、その特性を理解したうえで撮影して頂くのが難しいようです。
私も焦点距離とか言われてもイメージでしか理解しておらず、説明もできない程度なのですが、コンデジでも調整できればなぁ~と。。。
いや、調整できないからコンデジなのでしょうか。

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こんばんは、series500です。
本日、大学院・博士前期課程を修了(卒業)しました。
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入学したのが本当に昨日のことのような感覚で、在学中は悩みがない日がありませんでした(先ずは授業、そして就職、それから修士論文)が、同時に学生生活を楽しみ、就職も決まり、論文も何とか通って修了できたという最高の結果を得ることができました。
内容的に纏まった文章を書く余裕はないものの、2年間を振り返りながら書いていきたいと思います。
徒然に。

大学院進学という選択
私にとって、大学院進学という選択肢は、「学生生活の延長戦」「人生の遠回り」「崖っぷち」でした。
大学時代に満足した就職活動の結果を得られなかったから、それしか進路がなかったから、大学院に逃げたという言い方も強ち間違ってはいません。(もちろん、それが本質でもありませんし、もうちょっと勉強がしたいと思っていたことも確かです。)
また、出身大学と異なる大学院に進学したことは、自分を更に厳しい環境に置くと同時に、カリキュラム的に自分の目標に向かった具体的な勉強ができると考えたからです。
世間では、学部よりもレベルの高い大学の大学院に進学することを「学歴ロンダリング」とか揶揄されるようですが、逆に自分をより高みに置くことに何の問題があるのか、高度な研究のために上を目指すことは当然じゃないのかと思います。
・・・話が逸れました。
いずれにせよ、大学院進学は決して予定していたものではありませんでした。

入学の日
2009年4月、学部を卒業して大学院に入学しました。
同級生は殆ど社会へ飛び出していったという危機感と、他大学出身の自分が研究科の中で受け入れられるだろうかという不安で入学式を迎えました。
しかし、それは杞憂でした、少なくとも後者は。
皆、まるで昔から友達だったかのように受け入れてくれました。
(皆は私が思っていたほど意識はしていなかったのかもしれませんが。。。)
本当に良い人たちに出会えたと確信を持てます。
また、OG時代からの親友であるsikiさんが同じ大学院に進学したことは精神的に大きな助けとなりました。
思い返せば、2人で学生生活的なことが殆どできなかったのが後悔するところですが、常に私が何らかの懸案事項を抱えていたことを考えると仕方のなかったことです。

日々の授業
大学院の授業は、大学の講義とは違います。
基本的に受講生は5人とか3人とか、場合によっては1人とか・・・少人数極まりないので、内容的にも大学のゼミ演習のような形式が殆どです。
しかも、人数が人数なので、報告やレポートも高頻度。
当然、レジュメや発言のレベルの学部レベルのものでは通用しません。
入学当初、それまで読んだこともないような哲学的な憲法の論文を前に、本気で泣きそうになったのも今では良い思い出です。
今でもそれを消化して理解できているワケじゃないですけど。。。(汗)
しかしまぁ、大学院の授業は1コマ毎にやりがいがあるというか、(追い込まれて)何度も徹夜をしながらではありましたが、学問に取り組むという難しさと楽しみを得て、大学院の授業に取り組めたのではないかと思います。

学生として
昔からの付き合いであるsikiさんとは、ある意味では良くも悪くも今までどおりの付き合いだったものの、大学院で得た友人たちとの交流は完璧に想定外でした。
入学前、自分の中での大学院生のイメージがあまり良くなかったこともありましたし、勉強しかしないものだと思っていたので、共同研究室で延々と雑談するとか、飲み会を開くとか、遠足に行くとか、旅行に行くとか・・・想像もしていなかった日々でした。
でも、だからこそ学生ライフも満喫できました。
まぁ、想定外というか、我々の仲間内が特殊なのかもしれませんけど。。。
しかも、各々が大学院生としても人間としても素晴らしく、また楽しい方々だったので、先述のとおり、本当に良い仲間に恵まれたと思います。
加えて、恩師や恩師を通じて様々な社会人と方と知り合い、研究会などに出席させて頂いたことで、学問以外の勉強も大学時代以上にできました。
これが自分の進路を決める上でも大きな役割となりました。
・・・ただし、大学・大学院と6年間の学生生活は、私の生活リズムを完全に世間から隔離しました。
何回かブログでも書きましたが、やっぱり学生の期間として適切なのは、4年くらいかと思います。

就職活動・進路
基本的に大学院生活を満喫しておりましたが、当初からの目的でもあったように、卒業後の進路というのは常に意識していました。
仮に大学院を修了(卒業)しなくとも、とにかく社会人にならないと・・・同級生から大きく遅れを取ったことへの不安は、自分の将来に対する考え方を大きく揺らしました。
これはもうヤケクソでもあると言えような気もしますけど、一度は納得できないことに対して、それを受け入れることを拒んだわけですから、今度同じ状況になったら、受け入れざるを得ないとは考えていました。
自分の拘りや考え方、知識、経験が絶対的だとは思いませんし、そういう納得できない道に進んでも、いずれは自分の道として舗装されていくものです。
だから、自分が大学生の時よりも悪い就職環境の中で、邪魔者扱いすらされる文系大学院生の身でありながら闇雲な就職活動もしました。
結局、自分の進みたいと思った道に進むことにはなりましたが、それだって結局のところは舗装されていない荒れ道であることに変わりません。
楽をするために選んだ道でもありません。
ですが、自分の希望した進路なのですから、精一杯やっていく覚悟です。
※あっ、当然のことながら、博士後期課程(ドクター)を目指すことは絶対にありませんでした。
法に対する見識だけでなく、語学もできませんし、そこに進んだところで進路が見つからないことは明らかで、これ以上は学生を続ける意味がなかったからです。

修士論文の執筆
修士論文は学部の卒業論文とは違い、審査や口頭試問もあり、法学部と比較すれば厳格です。
単に文章量の問題だけでもなく、内容においても卒論のような適当さでは済まされません。
私は、進路が決まってから書き始めたので、実質的に執筆に掛けた時間は3ヶ月弱でした。
この間、単に論文を書くだけでなく、指導教授のアドバイスを受けながら、何度も修正に修正を重ねていきます。
自分自身に明確なテーマや知識がなかったため、テーマの選定からして選定する余地がなく、この後も法律論として論じていくための参考文献の不足が手を煩わせました。
まだまだ自ら法律論を展開するだけの実力と経験がない修士論文レベルでは、参考文献が絶対的な力だと言っても過言ではありません。
その参考文献に恵まれない以上、それ以上のことは頭で考えたとしても容易には書けませんから、そういう意味で論文のレベルは自然と決まってきます。
従って、自分が書いた論文に満足しているわけではありませんが、とはいえ、審査を通してもらい、大学院を修了できたのですから、私はもう満足です。
最小限の努力で最大の結果を得たと思います。
論文を書いたこと自体が良い経験でした。

修了(卒業)にあたって
正直、自分が大学院をストレートで修了するとは思っていませんでした。
金銭的なこともあり、進路が決まったら退学しようと本気で考えていましたし、進路が決まらないなら休学するのもアリではないかと・・・それが自分の中での予定でした。
それでも多くの人たちに刺激を受けて、あるいは実際に力を借りて修士論文を書きあげ、審査も通してもらって、とりあえずは大学院を修了することができました。
この2年間で得たものは、必ずしも今すぐに形になるものばかりではありません。
これから時間を掛けて、これが大学院に行った成果だというものが出てくるものだと思います。
学生として、学部生よりも更に厳しい(そして楽しい)環境を生きてきました。
自分は進路が見つかっただけでも良いとは思っていますが、きっと、この大学院生活にはそれ以上の成果があるように感じています。
大学院に進学するという選択は、自分にとって正解でした。
そして何より、大学院で私に関わってくれた全ての人に心から感謝を申し上げる次第です。

名言
・皮肉で大学院に入ることを「入院」、出ることを「退院」という。
・法律学とは、解釈論と立法論。
・大学院生と研究者は、議論の上で常に対等。
・大学/universityとは、宇宙/universe・・・知の宇宙。
・(目立って愛される)梅の木学問ではなく、(目立たないが人のためになる)楠学問を。

修了の日(日記)
学位記授与式は午前10時からですが、8時30分くらいには大学院へ。
最後の大学院を味わおうと思ったのと、共同研究室に行けば誰かいるだろうと思ってのことです。
・・・共同研究室には誰も居ませんでしたが、、、珍しく。

で、9時頃にsikiさんと合流し、授与式の会場へ。
そういえば、入学式の時もsikiさんと参加したのでした。
授与式は、各研究科の総代が学位記を受け取り、学長の式辞などで終了。
ここでsikiさんとは分かれ、研究科の仲間と合流します。

授与式の会場前で記念撮影などをした後、大学院棟へ移動。
研究科ごとに個人に学位が授与されます。
なんか・・・入学式後の説明会と同じようなシチュエーションに、この2年間が重なりました。

その後、共同研究室で在学生が用意してくれた昼食を食べ、その後は”いつものように(?)”延々と雑談を繰り広げます。
4時間くらいあったはずなのですが、やはり一瞬のようでした。
途中、何故か皆でプチプチを片っ端から潰すなんてこともやってました。
でも、そういう雰囲気こそが我々が居た法学研究科だと思います。

5時からは梅田で打ち上げ。
食事会(飲み会)の1次会、喫茶店での2次会を楽しみ、10時頃に解散しました。
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誰かも言っていましたけど、本当にこれが大学院生活で最後の飲み会のようには実感が湧きません。
もちろん、これで修了(卒業)だということも。
これから寝ぼけてフラッと研究室に行ってしまって、でも皆も普通に居る・・・そんな気さえもします。
それだけ大学院生活が楽しかったということでしょう。

・・・大学院を退院しました。

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こんばんは、series500です。
昼頃まで断続的に雨が降っていたので、花粉もあまり飛んでいないのではないかと思っていたのですが、起きてからの花粉症症状が酷かったです。
昼食後に薬(アレグラ)を飲んで数時間後には『比較的マシ』というレベルまで落ち着きましたけど、なんかもう精神的にキツいものがあります。

今日は、ベランダとベランダ側の窓を掃除しようと思っていたのに、昨日の疲れからか動けませんでした。。。
別に疲れていた感じはないのですが・・・
もう私には学生としての時間がないのに、なかなか思うようには進んでいません、色んなことが。

東北地方太平洋沖地震から10日が過ぎました。
原発は未だに安全だというレベルではなく、まだまだ被災者も苦しい避難生活を余儀なくされているとのこと。
善でも偽善(本質的に偽善なんてものが存在するのか疑問ですが。)でも何でも良いから、とにかく行動する人が増えれば、きっと良い方向に向かってくれると・・・私は僅かな募金しかできませんが、少しでも復興に役立てばと思います。

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こんばんは、series500です。
ここ数日、いや、数週間ほどは、殆ど花粉症を意識しなくても良いほどに安定していました。
もちろん、花粉症の症状はありましたが、薬で抑え込めることができていたと言って良いレベルだったと思います。
実際のところの飛散量が分からないので、環境的なものか薬の効果かは定かでない部分もありますけど、自分としては花粉症シーズンにしては比較的「楽」だった印象です。
・・・が、今日、遂に花粉症が爆発しました。
もう、鼻が無理です。
無理って何だって話ですが、無理です。
こんな表現しか思いつきません。
くしゃみ・鼻水、目の痒み、肌の痒み・・・今にも気絶しそうです。
普段生活していない場所に行ったからなのか、それとも花粉の飛散量が爆発的に増えたのか、私の花粉症に対するバケツが限界を超えたのか、、、色んなことが憂鬱な今、更に憂鬱なことが増えました。

さて、今日は墓参りの為、兵庫県の和田山付近へ。
今回は、色々と理由があってレンタカーを借りなかったので、鉄道利用です。
まぁ、私としても鉄道趣味的に見ておきたかったものもありましたし。。。

朝、新大阪から特急「こうのとり1号」で和田山へ。
今月のダイヤ改正で誕生した特急ですが、早い話が特急「北近畿」です。
車両も一部は新型の287系になりましたが、まだまだ183系が中心。
今回乗車した1号も183系でした。
愛称幕も文字が「北近畿」から「こうのとり」になった程度の変化に止まっています。(これから愛称幕のない287系に置き換えられるのだから、当然と言えば当然ですが。)
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(1)行先案内版【特急こうのとり1号 8:06 城崎温泉】
(2)183系・B66編成
(3)「こうのとり」愛称幕

で、墓参りは予定通りに完了。
天気予報が曇りのち雨(夕方にかけて雨)だったので、常に雨の心配をしていたのですが、奇跡的に(?)雨は降りませんでした。
有り難いことです。

そして、合間を縫って鉄道撮影などを・・・
前回【第1389項参照】と同様、朱色5号のキハ40も撮影できましたし、287系が計画通りに出揃うまで代走している381系の「こうのとり」も写真に収められましたので満足しています。
何枚か致命的な失敗もしてしまっていますけど。。。
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(4)189系「はまかぜ」
(5)キハ40-2046
(6)381系「こうのとり」

帰路は、特急「はまかぜ4号」。
キハ181系からキハ189系に置き換わって以降、初めての乗車です。
休日だからか、乗車率も非常に高かった印象でした。
もっとも、姫路で半数が降り、明石・神戸・三宮で大半が降車していったので、私が乗った6号車は、三宮→大阪で誰も居ませんでした。。。
まぁ、播但線経由の特急列車としての宿命ですかね。
乗り心地は、座席が未だ新しいので、キハ181系よりも良いと思います。
音は、低騒音化に力を入れたと言われますが、やはりディーゼルというだけあって、それなりの音がします。(キハ181系と比べてどうか?とは、正直、私には判断できません。)
でもまぁ、気動車に乗っている感があって、私は好きです。
ただ、何より残念だったのは、デッキと客室を仕切るドアが車両の振動と共にカタカタと五月蝿い感じでした。
車両の中央では気になりませんが、私の座席はドア付近だったので、終始気になりました。
それだけです。
せっかく投入された新車ですから、これからも長く活躍してもらいたいものです。
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(7)行先案内版【特急はまかぜ4号 14:57 大阪】
(8)189系・H2編成
(9)189系の車内

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こんばんは、series500です。
バラエティなど、テレビ番組もほぼ100%に近い形で通常に戻り、ニュース番組をピンポイントで見なければ、こちらから情報を探しに行くような姿勢でないと最新の情報は手に入らないんじゃないかという感じです。
ある意味で非常事態に騒いでいたことから日常生活への転換とも言えそうですし、我々が日常の経済活動をすることで被災地の救援・復興を支えることでもありますから、それはそれで良いのだと思いますが、何をしても心に引っ掛かるようなものがあります。
被災地のことに思いを馳せれば。

今日は、サックスのレッスンで梅田へ。
この前の発表会ライブで浮き彫りになった課題を克服し、もっと上を目指します。
まぁ、山は高い方が登り甲斐が、高い壁は高い方が越え甲斐があります。
幸い(?)、私には登らなければ、越えなければならないものが未だ随分とあるようですよ。
ってか、今までに越えた壁ってあったんでしょうか?(苦笑)
あまり記憶にありません。
練習したいなぁ~、って思った時に限って忙しくなったりしますから・・・今みたいに。
もっと経験も積みたいですし。

そんなワケで、アドリブで使うⅡ-Ⅴ-Ⅰや12キー全てのアレコレを今後やるっぽいです。
アレコレって・・・正直、理論的なことが分からないので、今はアレコレとしか書けません。
今の私には、凄く高い壁だと思います。
長期的にやるとは言われていますが、いつか当たり前のようにできる日が来ることを・・・

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こんばんは、series500です。
東北地方太平洋沖地震から今日で1週間。
我々にはアッと言う間だったかもしれませんが、被災者の方々には凄まじく長く辛い1週間に感じられたのではないかと推察するところです。
支援物資が向かっているというニュースを聞く一方で、まだまだ物資が不足しているという現地の方のコメントもあり、その日の生活を安定させるだけでも大変なんだなと思います。
そして、今もって原発の方も安全な状態ではありません。
ずっとテレビやインターネットで情報を得ている我々でも、流れている情報が本当に正しい情報なのか、これからどうなっていくのか、判断が非常に難しい状況です。
正しい知識があれば必要以上に恐怖に感じる必要もない・・・のか、逆に恐ろしさが分かるのか、いずれにせよ、政府にしろ、民間企業(東京電力)にしろ、責任をもって指揮及び作業に当たれるだけの人が居ないことが一番怖いです。
事故時の技術的対応が確立していない原発による電気で快適な生活をしてきた反動だとしても、これからの電力政策についての議論は、フェイルセーフのためにどういう設備・対応をするか、これを中心にするべきで、今回のことを教訓にできなければ、本当に愚かです。

さて、今日は、sikiさんと、OGの時に英語の授業でお世話になり、今は法科大学院生としても頑張っておられる先生との食事会に行ってきました。
いやぁ~、楽しかったです。
ちょっとビビったけど。。。(苦笑)
でも、やっぱり我々が居た頃のOGって良い学校だったんですよね。
そのことを改めて感じます。
今日のことは細かく書けませんが、就職して仕事が落ち着いてきたら、土曜日にでもOGに表敬訪問したり、先生方とも食事に行きたいと思っております。
OG万歳!

2週間後には社会人です。

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こんばんは、series500です。
こんな非常時なのに、行政はもっと強権でも先導的なことをできないのか・・・
テレビやネットの報道を見ていると、つくづく感じます。。
実際のところ、国も含めた行政は未曾有の災害に対して全力でやっていると思います。
けれど、被災地での物資や燃料が圧倒的に不足し、直接的な被害を受けていない地域でも不安から物資の需給バランスが崩壊している中、こういう時こそ行政が物資の調整を強制的にでもやるべきなのではないでしょうか。
行政が強制力をもって統制するのは、法律的にも実務的にもなかなか難しいところであることは確かなんですが、業界団体に協力要請しているだけでは被災者向けの物資は確保しきれないですし、啓発だけでは混乱した消費者を抑えることも難しいと思います。
昨日も書きましたが、現に困っている被災者よりも物資等で優先される人間がいるはずないのです。
仮に明日は我が身であっても、とにかく今この瞬間に危機に立たされている人のために動く、それだけ。
一般の消費者は過度の不安に陥らず、冷静に日常生活を送ることを徹底してもらいたいものです。

今日の大阪は、昨日よりも過酷な天気でした。
晴れたり曇ったりというのは昨日と同様で、晴れている時と曇っている時の差が激し過ぎです。
雪は殆ど真横に吹きつける感じで降っていましたし、風も相変わらずの冷たさで、できることなら外出はしたくないと思わざるを得ません。
これ以上の寒さと雪の中で避難生活を送っている人がいるのに贅沢な話ですが、まだ冬です。
[最高気温:7.0℃・最低気温:0.9℃/大阪・気象庁]

私は色々とやっていました。
祖母の様子を見に行ったり、サックスの練習をしたり、事務作業をしたり・・・
「今日はコレをした!」というものはないのですが、暇なわけではありません。
なんか・・・これで良いのかなと思うところはありますが。

そうそう、昨日はブログを書く時間が充分に取れなかったので書き忘れたのですが、東京スカパラダイスオーケストラの新譜が届きました。
間もなく公開される映画「ワンピース3D」「トリコ3D」の主題曲です。
シングル『Break into the Light~約束の帽子~/The Sharing Song~トリコのテーマ~』と企画ミニアルバム(サントラ)『HEROES』。
「Break into the Light~約束の帽子~」のイントロ、カッコ良いです。

<追記>
医療機器運搬のため、自治体にガソリン調達の申請をしたのに、窓口で却下された事例を見ました。
その医療機器運搬が人の命を救う重要なことであることは誰の目にも明らかですが、それでも断らなければならない状況に心が苦しいです。

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こんばんは、series500です。
国内でも海外でも、地震や津波に対する関心や思いが時間の経つごとに薄れていくのが怖いですね。
これだけの災害の復興にかかる時間は莫大なものになるでしょうから、一時的な感情だけでなく、長期的に行動できることが何よりも大切。
そして、災害は忘れた頃にやってくる・・・今は被災地に物資を流すことが最優先ですが、物流が落ち着いたら、我々も普段から災害時に必要な物品・保存食を調達しておくべきでしょう。
ただ、人間とは愚かで浅はかなモノで、今はある種の祭りのように騒いで防災意識が高まっていても、何事もない時には本当に災害のことなんか考えてませんから。
明日以降に自分が被災するかもしれないという危機感も心情的には分かりますが、現時点で被災地でないところが買占めを始めると被災地には非常に迷惑で、今はとにかく、「今」困っている人の為に考えを巡らせるべきです。
今、現に困っている被災者よりも、未だ通常の生活を保っている人間の物資が優先されるなんていうのは、道理にかないません。(もちろん、自らの防災も含めた今できることを全て捨てて禁欲すれば良いという話でもありません。我々、特に中部地方以西の人間は、粛々と「通常」の生活をすることが重要。)

政府も政策を転換するようです。
民主党の目玉政策であった子ども手当や高速道路の無償化を撤回し、災害復興に財政を向けることを検討しているとのこと。
これらの政策は手法としての批判も多く、国会のバランスなどもあって実現する可能性も微妙でしたから、政権運営が苦しかった民主党にとっての救世主になったという穿った見方もできなくはありません。
しかし、賛否があった政策だろうが何だろうが、政治が災害復興に向けての財源を確保しようとする姿勢は、当然でありながらも、単純に評価して良いと思いますし、これだけの災害があったのだから、これからの政策展開は今までと同じようには考えるわけにいかないと思います。

今日の大阪、昨日までと全く違って大荒れの天気でした。
太陽の日差しこそ暖かいものの、風が強くて痛いくらいに冷たく、「やっぱり未だ冬なんだなぁ~」と思っていた上に、太陽が雲に隠れたときには正しく”真冬の寒さ”と言って良いレベルだと感じました。
しばらく外に居たら、手が青白くなってましたよ、寒すぎて。
しかも、数十分ごとに天気が激しく入れ替わり、さっきまで太陽が出ていたのに、今度は曇って、粉雪というのか霙というのか・・・降ってました。
もう寒の戻りは充分です。
春になって頂いて結構でございます。

昼過ぎ、大学院へ。
最後の荷物を回収してきました。
これで大学院から私の荷物が無くなりました。
ロッカーのカギも返却しましたし、嫌々ながら卒業の準備が万端です。
あとは、持って帰ってきた資料の整理を家でやるだけ・・・
正直、これが3月中に終わる可能性は決して高くないのですが、可能な限り進めて参ります。

3月も既に半分が終わっています。
残り半月、全力で出来ることをやります。

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こんばんは、series500です。
22時30分ごろ、静岡で震度6強を観測する地震が観測されました。
この地震で大阪は震度2か1を観測していますが、私の所在地は震度2だったようで、またもやマンション全体がユラァ~って揺れました。
先日の東北の地震ほどではありませんでしたけど、地上付近だったら殆ど地震の揺れを感じないんだろうなぁ~っと。。。
それにしても、明日は我が身かもしれません。
こういう機会だけではなく、これを機会に日頃からの防災意識を高めていく次第です。

今日は、外出といえば郵便局に行った程度で、その他の時間はパソコンで事務作業をしていました。
このブログ関連の作業でした。
まぁ、このブログに反映されることではないので、成果が表に出ることはありません。
それにしても・・・単純作業の繰り返し、、、疲れました。
ダラダラとやって、日付が変わる頃に漸く形になりましたが、やっぱり自分は事務作業に向いていないのではないだろうかと。。。(苦笑)
こんなに作業スピードが遅いとは、自分でも愕然としていますよ。
1年後の私へ、「これで大丈夫ですか?」

あと、サックス発表会ライブの音源を聴き返しては猛省している日々です。
この曲は「育てます」。

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こんばんは、series500です。
地震から3日も経っているのに引き波が観測されるあたり、今回の災害の規模の大きさを如実に示しているのではないかと思われますが、福島原発の爆発の影響で関東では今後、輪番停電(計画停電)を実施していかなければならないとのこと。
電気が使えない時間、家の中や会社の中だけではなく、電車も動けないようですし、病院なんかも電力を確保することを保障できないようです。
冷凍状態が保てないと品質も落ちていく冷凍食品なんかも危ないんじゃないでしょうか。
こういう状況下での節電は大事(※関西から関東に電力を送るには変電の必要があり、それには限界があるので、節電の効果は殆どない。)ですし、止むをえないですが、地域ではなく用途で停電できないものなのでしょうか・・・信号・病院などインフラに対しての電力は確保して、鉄道は最低限の運行、一般住宅や商店・外食などには電力使用を停止させてもらうような。
なんか、(今後の方向性として)もっと良い考え方・やり方があるような気がします。

あと、テレビも輪番にしたら良いと思います。
災害時、災害情報以外の番組をカットするのは当然ですけど、災害情報も全局が同様の内容を同時に流しても仕方ないので、何局か放送をしなければ相当な節電になります。
どうせ下手にCMも流せないから、広告収入的にも問題ないはずですし、休んでいる間に取材を続けて、ある程度の情報が纏まってから放送した方が正確な情報を伝えられるのではないかと。
それに、被災者に対するインタビューも、ある側面からは意味のあることかもしれませんし、全くダメだとは思いませんが、悲しみに暮れる人に追い打ちをかけるようなこともあるので、そういうインタビューばかりに頼って情緒的な報道”だけ”になってしまうのは報道倫理的にも考えものです。
緊急放送は、その時点で放送している局がやれば充分です。
あるいは、情報の性質ごとに各局で分担するのも一つの方法かもしれません。

しかしアレですね、原子力発電も今後が大変ですね。
メリットも最大である一方、デメリットも最大である原子力発電。
事故があった場合の対応が確立されておらず、そもそも放射線による人体への影響も完全には把握されていないことに加え、元々、日本のような災害だらけの国で原子力を扱うこと自体が難しいワケですが、それでも安定的な電力確保のために最も有効だから飛び付いた側面があります。
これから復興に向かう中で、原子力発電に対する議論も起きるかもしれません。
しかし、絶対的な安全性を確保しながら安定的な電力確保することを真面目に議論しなければ、また同じことが繰り返されるだけでしょう。
電力の使い方自体を考え直す機会かもしれません。

さて、大阪は今日も昼間は良い天気でした。
気温も暖かく、動いていたら汗をかくほど。
そのわりに花粉を感じることが殆どなく、すごく理想的な天気でした。

そんな昼間、大学院へ。
今日も荷物の回収です。
本当は先週の金曜日に行くつもりでしたが、前日の疲れと地震で止めていました。
あと1回でロッカーを空にできます!
で、研究室には友達が居たので、2時間ほど雑談などしてから帰宅。
卒業式(学位授与式)まで残すところ1週間ほど・・・

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このブログは、2006年12月1日(金)に開設され、2013年3月18日(月)までの2300日に連日更新されました。現在は、管理人の気力・体力・ヤル気・ネタが揃った場合にのみ、ごくごく稀に更新されます。
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